先立つものは適正な労働時間

人間,何かに追われていると発信ができなくなってしまうもののようですね。

私もここ一年あまり,会社の中でもとても忙しい部署に配属されていたので,全くブログに触れることができずに過ごしてしまいました。

以前の記事で,日本人は残業に追われるあまり多くの弊害が出ているのでは,という内容を書いたことがありましたが,まさに自分がその罠に陥ってしまった感があります。

イギリスの労働時間は羨ましい限り - MIND THE GAP


やはり人間が持つ時間は有限で,よほどの超人でなければ希望するすべての物事に取り組むことはできないのだと思い知りました。

その証拠に(?),この4月でまた異動があり,割と残業が少ない状況になったところすぐに,改めて世の中のいろんな問題が気になるようになり,何かを発信したい思いに駆られるようになったのです。やはり長時間労働は,人間の大切な何かを削いでしまっていますね。

まだまだ以前のように筆をどんどん走らせることはできないのですが,気になることについてよく考え,意見を述べるということを再開したいと思っています。

日本のリベラル勢力よ,大人になれ

 最近のニュースで,経産省の敷地内にある反原発活動家のテントが不法占拠を行っているとして,経産省が訴訟を起こしたというものがありました。私もこの付近を仕事で通ることがままあり,その際いつも,ここの占拠は法律的にはどうなっているのかなあ,と考えていたのですが,やはり不法占拠だったんですね…

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013031500338

 このテントに掲げられているコメントやテントの雰囲気を見ると,「自分たちは正しい主張をしているのだから,政府は自分たちが(不法占拠という)リスクを冒してまで訴えていることをくみ取って,政策の転換を図るべきだ」というような,ある意味開き直りのようなものがあるように感じていて,それって例えば文化大革命時の中国でスローガンとされた「造反有理」と同じ過ちを繰り返してしまう道なのでは?と考えてしまいます(造反有理はいまでも反日運動では一般的ですかね 苦笑)。

 これに限らず,反原発を中心とした昨今のリベラル勢力の活動を見るに付け,もうちょっと上手くできないものか,と考えてしまいます。つまり,テントに限らず現在でも官邸前の金曜日デモなども続けられていますが,そのような示威的行動は初期に運動のモメンタムを付けるためにはとても有効だと思いますが,その活動を持続的に,また,世の中一般により広く浸透させるためには,合法的な政治活動,つまり政治による権力闘争に持って行かなければ,目的はいつまで経っても達成されません。理念の下に人々を束ねたり,全国の運動の受け皿として,その人々の思いを政治という権力にきちんと結びつけるすべを知らないし,そもそもそういうイメージを持ち合わせていなかったため,運動のための運動に堕してしまったのではないでしょうか。

 歴史的に見ても,(思想の軸は全く反対ですが)あのナチスでさえ,ミュンヘン一揆の失敗とそれに伴うヒトラー始め幹部の大量逮捕によって初期の非合法的な取組一辺倒のやり方は見直され,そこからは議会制度の中で如何にして勢力を伸ばし,行政組織に食い込み,国民を合法的に動かし,権力を押さえるかということに注力するようになったわけです(もちろん政党としての顔の裏には,親衛隊などの実力部隊による圧力・威嚇や,法律そのものの内容が問題となるよう事例も多かったわけですが…)。

 そういう意味では,日本未来の党といった動きも以前にはありましたが,結局党首を始めメンバーが組織のまとめ方や動かし方,あるいは権力の作り方・生かし方といったようなところがあまりにも未熟で,きれい事のかけ声だけを張り上げて惨敗しました。さらに言えば,民主党政権全体がそのような病に冒されていたと言えます。彼らは組織(党+政府(官僚機構))のまとめ方や動かし方に定見が無く,発言をすれば周りが勝手にフォローして世の中は変えられるとでも思っていたかのような政治・行政姿勢でした。そしてそれで政権が維持できなくなった結果,野田前総理は財務省のいいなりになり,自民党時代より遙かに政治が何もできない仕組みにとらえられてしまったわけです。

 この民主党の失敗についてもう少し考えてみます。民主党政権が証明したのは,権力無き理想はむしろ有害となり得ることだと思います。自民党の政策が全てすばらしいものとは限らないが,民主党はビジョンを権力に落とし込むことに失敗し,その結果何も決められなかった。例えば最近法案ができたインターネットでの選挙活動を認める公職選挙法改正についても,もともとは民主党の方が積極的で,政権樹立当初から原口総務大臣(当時)が真っ先に公約として掲げていたにも関わらず,民主党時代には何も動きませんでした。それが自民党になったらものの数ヶ月で法案として出てくる。この違いは,個々の議員の能力ということもあるかもしれませんが,理念を実現させるためのノウハウというか,価値観・考え方そのものが無かったからだと思います。その病が全ての行政分野にわたってしまい,政権全体がかけ声倒れ,パフォーマンスだけ,と言われてしまったのです。

 もちろん古代からこれらの問題,つまりリアリズムとユートピアニズムのバランスについて,は多くの議論がされており,リアリズムを突き詰めたものとしてはマキャヴェッリの君主論が有名ですが,もっとさかのぼると古代中国の戦国時代に著された「韓非子」という書籍も有名です。ここで著者の韓非は,国が滅びる兆候としていくつかの代表例を上げつつ,権力の安定,秩序の維持が無ければ,いくら美しい考え方やすばらしい政策,優秀な政治家,人間愛があっても世の中は悪くなることを説いています。要するに,友愛だけでは何も生まれないというわけです。私は理想(ユートピアニズム)が重要なことも理解できますが,最近韓非子を読んでこの点に強く共鳴し,すぐに民主党の失敗のことを思い出しました。

韓非子 (中国の思想)

韓非子 (中国の思想)

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 さて,民主党は政治スタンスで言えば,リベラル勢力の受け皿として結成され,政権を取った際には子供手当など新しい基軸の政策を打ち出し,自分も実は何かおもしろいことが起きるのではないかと期待していました。しかしその試みが失敗したことによって,大きな問題が発生しました。それは,日本にリベラルの受け皿が無くなってしまうかもしれないと言うことです。

 政党政治は政党が国民の意思を代弁する仕組みですから,政党にバリエーションが無いと,広い民意を受け止めきれないことになります。その結果として,最終的に政党政治の機能不全が起きてしまえば,その後の悲劇は歴史が語るとおりです。

 ただ,そういう「リベラルの挫折」的な現象は,おそらく多くの先進国でも既に経験されていることなのではないかと思いますし,それを克服した国もあるように感じます。例えば,英国の労働党も以前は産業の国有化など空論を掲げてばかりいた政党で,政権をたまに奪回しても大抵は一期でまた保守党に明け渡してばかりいました。しかしそれではダメということで,ブレアやブラウンといった若手の有望株を中心に自己改革し,「New Labour」として復活したわけです。もともと労働党にはエリートが多く理論的には詰まっていたが,権力を維持・強化することでその理論を初めて実践できる,というリアリズムの要素を取り入れ,そのために綱領の見直しや活動方法の修正,各構成員の意識改革などを行ったのです。このような流れは,ときに「頭でっかち」を表される,議論好きの民主党のカラーとも一致するものではないでしょうか。

 ですので,自分としては民主党を代表とするリベラル勢力には,もっと「大人になって」もらって,理想を見つつもより地に足を付けた政治活動をおこなってほしいですし,その過程で反原発などの人々のエネルギーを,デモでどんちゃん騒ぎするだけではなく,もっと建設的な方向に向けられるようにしてほしいと思います。それでこそ,自民党も負けじと切磋琢磨し,よりよい政治が生まれてくると思うのです。ただ,その歩みが現在の民主党という枠組みで行われるべきか,一旦整理統合されるべきかは,難しい問題だと思います。

 そして,そのために必要な手段の一つとして,中長期的な話ではありますが,日本の教育の中身を多少変えていく必要があるのではないか,と最近は考えています。例えば,リーダーシップやリアリズムについての理解を深めるような授業はあったでしょうか。問題の発見,解決などもいいけど,そのためにどういう手段をとるのか,どのように自分が先頭になって(口で言うだけではなく)人を動かし,まとめるのかという視点での教育は,部活動などで自主的に身につける以外,教育的工夫がなされていないと思います。

 そしてさらには,そういう感覚を自分で身につけた希少な人材は,そのスキルを生かすために大抵コンサバの側(自民党,霞ヶ関など?)につくため,リベラル勢力にそういう人材は集まらないという流れがあると推察します(リベラル側についても,理想論者ばかりの中で浮いてしまうだけなので…)。ですので,そういう人材の裾野を広げ,より広い範囲の思想にまたがった人材供給がなされるような教育の内容が必要と言えましょう。

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 話が発散してきてしまったのでこの辺にしたいと思いますが,数年後に大人になったリベラル政党が出てきて,我々国民に対し投票の選択肢を与えてくれることを願ってやみません。もちろん自分を含めた国民の側も,甘い言葉だけに乗せられることのないよう,大人にならなくてはいけませんね。

チェスを始めたい

 今日は東日本大震災から2年の日でしたね。私も職場で黙祷しました。当時イギリスにいて直接体験しなかった自分でも、セレモニーの厳粛さをテレビ越しでも感じられましたし、その厳粛さでは終戦の日しか他に匹敵するものを思い出すことができず、そういう意味でも東日本大震災はまさに敗戦以来の世の中の大きな節目だったんだなあ、としみじみ感じた日でした。

 閑話休題。

 イギリスにいたとき、一時期チェスにはまっていた頃がありました。そのときのことをこのブログに書いていたかどうかはちょっと覚えていませんが、当時は駒の動かし方を覚えて、同じ寮に住んでいたパキスタン人と毎晩のように試合をしていました。両方とも初心者なので考えるにものすごく時間がかかり(夜3時とかまでやっていたこともしばしば…)、その割にはすぐにイージーミスで試合が決着してしまう事もままありましたが、チェスをする際の頭の絞り方は半端ではなく、試合後の知的疲労感はなかなかに爽快なものでした。

 実は帰国後もそんな感覚が忘れられずにいまして、最近ちょっと生活も仕事も落ち着いて来たことから、日本でもう一度チェスをきちんと習って、他の人と練習試合ぐらいできるようになりたいなあと思うようになりました。それで調べて見ると、カルチャーセンターとかで大人のためのチェス教室があるんですね。

 私はいま東京に住んでいるので、ここのHPなんかを拝見し、ちょっと興味を持っています。

東京チェスクラブ
http://members3.jcom.home.ne.jp/i-h2/

 まあ、チェスは将棋や囲碁と同様に、本当に強くなるためには幼少時から血のにじむような努力をして、それで更に才能溢れる人だけが強くなれる修羅の道そのものだと思うのですが、老後に楽しめる様なレベルで本当に構わないので、特に例えば退職金で世界一周旅行なんかして、そのときに各国の人とチェスができたらさぞ楽しいだろうなあ、とそんな夢ばかり見ています。

 実はチェスをこのタイミングで始めたくなったのにはもう一つ訳がありまして、いま仕事がちょっとぬるくて、頭も身体もなまり始めている気がするのです。ここでちょっと頭を振り絞るチェスをすることで、頭の働きを老化させないようにできないか、というわけです。

 そんなわけで、新年度を目処にチェスを始めてみようかなと思う今日この頃。本当に強くなれたら、このブログで報告したいものです。

 #なんだかすごく内省的?な記事を久々に書いてしまった…

尖閣諸島問題の幕引きは? フォークランドから学ぶ

 昨年7月に帰国して以来、最も大きなインパクトがあったニュースの一つは、尖閣諸島のいわゆる「国有化」に反応して中国政府が連日領海を侵犯し、ついには飛行機まで上空を飛ばして来るようになったことでした。こういう国際的な衝突は、冷戦期にはともかく日本にはしばらく無縁な感覚でいたので、遂にこういう時代になったんだなあ、というのが第一印象でした。

 尖閣諸島で言えば、自分が留学中の2010年にも、海保の巡視船にぶつかってきた中国漁船の船長が逮捕されて、そのまま送還された事件がありましたが、そのときに大学の友人(アラブ人)から言われたのは、「そんな弱腰な反応をして良いのか、日本政府はそれで国民に納得してもらえるのか?」ということでした。まさにそのような事件の積み重ねを通じて、日本の国民感情もいよいよ我慢に限界に達しつつあったところで、今回の一連の流れですから、それは安倍さんが従来の政府対応より強硬な立場を打ち出しても選挙で一定以上の支持を得ることができたのも、自然に感じられるものです。

尖閣諸島中国漁船衝突事件 - Wikipedia

 もちろんそのナショナリスティックな反応の裏には、国内社会・経済の閉塞感が国民感情に及ぼす影響、またはそれを活用して国民の目を何かからそらそうとする方々の意図、なんかもあるかもしれませんが、こういうのはいわゆる陰謀論のように直線的なロジックで動いているのではなく、原因と結果が相互に影響し合い、数多くの偶然・意図せざる効果が重なってもたらされるものだと思います。ですから、結果として社会全体がその方向に進んでいるという事実そのものをまずはしっかりと受け止めて行く事が重要だと思います。

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 さて、これからどうなっていくのかということには、一国民としてとても興味があるところですが、一番怖いのは戦争になって、しかもそれが泥沼に陥って長引いてしまう事ですよね。もし中国の挑発がエスカレートして一戦交える事になったとしても、日本としては中国の軍拡方針に一発牽制を入れる意味も合わせて、短期間で勝利してさっさと事態を幕引きさせることが望ましいでしょう。しかしよく言われるのは「戦争は終わらせるのが一番難しい」ということです。規模は異なりますが、大東亜戦争の際にもその終戦工作がとても大変で、多くの人が知恵と勇気を振り絞ったということが、例えば下にある「聖断」という本には生々しく描かれています。

聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎 (PHP文庫)

聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎 (PHP文庫)

 戦争を終わらせるには、外交、内政、軍事の高度な連携と、なによりその大方針を示して推し進める強力なリーダーが必要です。かたや戦争を始めるには、誰かが暴走して一発撃ち込めばいいわけですから、なんとも簡単な事です…

 その中で近年の戦争で参考になるかもと個人的に思ったのが、イギリスとアルゼンチンの間で行われたフォークランド紛争です。

フォークランド紛争 - Wikipedia

 1982年にイギリス本土から遠く離れたフォークランド諸島で行われたこの戦争では、イギリス海軍に大規模な被害が生じたものの、最終的にイギリス陸軍がフォークランドを再占領することに成功しました。アルゼンチン側は航空部隊を中心に大きな戦果を挙げつつもフォークランドの再占領を許し、奪還することができませんでした。その結果としてアルゼンチンの軍事政権指導者であるガルチェリが失脚、その後イギリス側が停戦宣言を出し、戦争は終結しました。

 この戦争は、小さな島を巡る領有権の争いであること、海軍・空軍力が中心で双方とも近代化された兵器体系を有していたことなど、尖閣諸島との類似点が多く存在します。もちろん領有権の争いに至るまでの経緯には違いも多くあり、国際法的には尖閣諸島に対する日本の領有根拠よりフォークランドに対するイギリスの領有根拠の方が弱いという説もあるようですが、いずれにせよ参考になる事例だと思います。例えば下記のリンク先ではフォークランド紛争が領有権争いから本格的な戦争に至った経緯が説明されています。

新連載・リアリズムと防衛を学ぶ:フォークランド紛争に学ぶ、領土問題 (1/3) - ITmedia ビジネスオンライン

他にも戦争の発端については多くの名著が出されています、例えば第一次世界大戦なら「八月の砲声」という本がとても有名ですね。

八月の砲声 上 (ちくま学芸文庫)

八月の砲声 上 (ちくま学芸文庫)

 しかし、今回の記事で考えたいのは、このフォークランド紛争がどのように幕引きされたかということです。確かに尖閣諸島が紛争まで拡大するとしても、日本の自衛隊の能力からすればそう簡単に中国海軍に負けるとは思えませんし、米軍の支援もある程度は得られるはずですから、ある程度の大きさの戦線であれば、そんなに心配は無いように思います。しかしメンツの国である中国が、尖閣諸島での局地戦に敗れてそうすんなりと引き下がるでしょうか。もしかしたら拡大を図り、沖縄全体、あるいは他の地域も含めた全面戦争に持ち込もうとするかもしれません。ですので、現段階では戦争を避けるために知恵を絞るのが最優先ですが、起こってからの戦い方、さらには局地戦の範囲で終わらせる方法について考えておくことを忘れてはいけないと思うのです。

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 といっても自分はフォークランド紛争に全然詳しくないですので(苦笑)、上にあるWikipediaの情報を下に考えていくことにします。

 直接的な戦争終結の理由は、イギリス陸軍の戦力と比較して、アルゼンチン軍がこれ以上戦ってもフォークランドの再々占領をすることができないと考えたからでしょう。ただそれが軍事的な側面だけかどうかは難しいところです。つまり、大東亜戦争における日本の様に、状況が絶望的になっても戦争を継続するという選択肢は、常に国家の中に存在する訳です。例えば戦争継続のために必要な海軍は、アルゼンチン軍にはまだある程度残っていたようですし、なにより本国がイギリスよりも近くにありますから、人を送り込むことだけならまだ可能だったはずです(奪還できるかの計算は別として)。
 
 それをふまえれば、間接的な理由として、国際社会による様々な形の圧力と、アルゼンチンにおける指導者の失脚も考慮すべきだと思えます。国際社会による経済的な圧力や、アメリカやチリによる軍事的協力がアルゼンチンを経済的・外向的に追い詰めていたことが、これ以上の戦争継続を諦めさせる要素になっていたことが考えられます。また、それまで戦争を主導してきた指導者が権力を失ったことで、戦争を継続するための国家体制を維持することもとても難しくなったものと考えられます。

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 この事を中国に当てはめて考えてみましょう。まずは国際社会による圧力です。現在中国は世界経済の原動力として、各国にとっての大口輸出先であるとともに、世界の工場としての役割もまだまだ果たしています。また日本と並んで最大の米国債の買い手であり、ユーロ危機に際しても様々な手段で支援を行っています。このような中国に対し国際的に経済制裁をかけるということは、極めて難しいと言わざるを得ません。しかし逆に日本が経済制裁を受ける可能性は、これはほぼ無いといっていいでしょう。ただし中国は国際社会に対し大規模な世論工作として、新聞や雑誌への投稿、インターネットでの情報発信、各国政府への働きかけを重点的に行っていますから、油断することなく日本もやり返すぐらいの意気込みで対策を実施することが、短期的には(戦争を避けるためにも)必要でしょう。

 次いで中国の指導体制が揺らぐ可能性ですが、こればかりは何とも言えませんね…。もし戦況が中国に不利になったとして、可能性は複数あるでしょう。例えば、①日本にも勝てないような中国共産党には用は無い、として内乱が起きる(起きないとしても不安定になる)、②日本にだけは負けたくないと中国国民が団結し、更なる泥沼の戦争に足を踏み入れる、というようなまるで逆の反応も想像できます。

 逆に体勢が揺らぐ可能性は、民主主義国である日本の方が高いとも言えるかもしれません。たとえ戦力的に優勢であったとしても、これまで不戦国家であった日本ですから、数名の犠牲者が出るだけで世論の支持が失われるかもしれませんし、選挙やスキャンダルの影響で戦争の最中にも政権基盤が揺らぐかもしれません。その辺りには、中国からの工作も陰に陽に行われることでしょう。

 そう考えると、中国側には、戦争に負けてもメリットがあるシナリオが成立しうると言えるかもしれません。戦争を実施することで日本側の政権を弱体化し、世論を分断する(さらには日米関係にも揺さぶりをかける)。さらには日本に対し勝てなくても程度善戦することで、日本に帝国主義的国家とのレッテル貼りをした上で国際社会に訴えかけ、国内的には更なる反日思想をあおりつつ、捲土重来を期すとして更なる軍拡へ進む、というシナリオです。もちろん日本側にも(中国側が全面戦争に向かわないほどに)完全勝利を果たして、中国の軍拡を牽制し、中国国内を動揺させるというシナリオがありますが、負けた際にもメリットがあるシナリオは、こちらが尖閣諸島を実効支配していることもあり、なかなか思いつきません…

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 結局、今回は幕引きについて考えてみましたが、それはいろんな意味でとても難しい道ということが分かっただけかもしれません(苦笑)でも難しい事ではありますが、日本の指導者や政府には、最悪の状況に至った場合の幕引きについても、頭の体操を進めておいて欲しいと願っています。自分としても状況を見守りつつ、尖閣の事はまた書いていきます。

 もちろん本当は、このような近くにある大国同士、仲良くできるが一番だと思うのですが…日本側の多くの人たちはそう思っているでしょうし、その気持ちが中国政府の心ある人に伝わることを祈るばかりです。

マスクが怖い

 日本での久々のお正月ということで、この初七日はすべてお休みを会社からいただき、のんびりと過ごさせていただきました。当然初詣にも行きました。結果は大吉、すべてがうまくいくそうです。これにあやかって、今年も昨年以上に楽しい年にしたいものです。

 しかし東京は思った以上に寒いですね、例年こんなに寒かったでしょうか。雨も降らないので空気が乾燥し、風邪やインフルエンザが怖い環境が整ってきました。そんなわけもあってか、街を歩いていてもマスクをしている方をよく見かけます。しかしこのマスク、日本ではとても容易に手に入りますが、イギリスでは全然売られていなくて入手するのが大変でした。薬局に行っても通常は取り扱っておらず、仕方が無いので日系の病院でもらった一枚のマスクを洗って何度も大事に利用したり、amazonで医療用のサージカルマスク、というものをわざわざ調達したりして過ごしていました。もちろん道でもマスクをして歩いている人は全然いませんでした。そう考えると、他の国はよくわかりませんが、もしかしたら日本は世界に冠たるマスク大国と言えるのかもしれませんね。

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 ただ、実は日本に帰ってからの違和感の一つに、マスクをして歩いている人の事が何となく怖く感じられる、というものが自分の中であるのです。どうしてかなあと考えて見たのですが、多分答えとしては、顔が隠れていて表情が読み取りにくく、その人が何を考えているかが分からない、あるいは素性に何か隠しているものがあるのではと不安になってしまう、ということがありそうな気がしてきました。

 イギリスに今も滞在している知人(日本人)がこんな事を話していたのですが、風邪を引いてマスクをしたまま大学に講義に出ようとしたら、警備員に呼び止められて身分や用件などを根掘り葉掘り聞かれたと。そこで普段は大丈夫なのになぜ今回は厳しいのかと問うたところ、「マスクをしているので怪しいと思った」と言われたらしいのです。そんなわけで、イギリスでマスクをしているとちょっと怪しい人に思われることがあります。確かに、特にロンドンでは他国籍社会ですから、いろんな文化の人が入り交じって生活している。その中でマスクで顔を覆った人がいたら、顔の表情という意思疎通にとって極めて重要なパーツが使えなくなっているわけで、確かにちょっと怖さが増すように感じます。以前の記事でも触れましたが、イギリスではちょっとした商店の店員さんとの間でもアイコンタクトや表情でのやりとりが割と多いですし、そういう非言語のコミュニケーションで人間関係、あるいはコミュニティの安心感を持たせているところがあるように思います。なので、それに慣れてしまって帰ってきた私は、街を歩いていて多くの方がマスクをしているのを見ると、何とも言えない不安に駆られてしまう訳なのです。

 それは言い換えると、ある意味では日本がイギリスよりも犯罪などが少ない安全な社会である事と関係がありそうですし、またある意味では、日本に住んでいる人々が比較的画一的文化(人種?)の下に暮らしているため、表情が分からなくても意思疎通やコミュニケーションに不自由しにくいという事も影響していると思います。また、コミュニケーション自体の頻度というか必要性そのものが低い(マニュアル化された対応、駅や道で他人とぶつかってもあまり謝らない、など…)という点も関係があるかもしれませんね。

 多分外国の人が花粉症の時期の日本に初めて来たら、すごく怖い思いをするんだろうなあ…

そして再開

 「新しいワインは新しい革袋に入れる」なんて格好いいことを言ったつもりで一旦休止した本ブログですが、2013年の元旦を機に再会しようと思います。

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 7月に帰国して以来、新しい住居や職場に慣れるのが大変だったり、友人知人との再会(=飲み会)に追われていたりと色々あって、心にゆとりがない状態でしたが、最近落ち着いて来たのか、無性に何かを発表したいというか、自分の考えをまた人々に見てもらいたい欲求が高まってきていました。レベルはあまりにも違いますが、一度華やかな舞台を経験してしまった芸能人や政治家が、普通の世界には満足できなくなってしまう感覚って、これにちょっと似ているんですかね。

 また、日本に帰ってからいろんな人と話をしたり、本を読み漁ったりしましたが、そのたびに自分でも驚くことが多く、例えば以前は絶対買わないようなジャンルの本に手を伸ばしたり、以前だったら同意していたであろう他人の話に違和感を覚えたりと、予想以上に2年の歳月は良くも悪くも自分の中身を変えてしまっていたようでして。そんなことを感じたことも、多分それなりに興味深い内容の記事を書けるだろうという自信に繋がり、ブログ復活への後押しになった気がします。

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 帰ってみて何より感じたことは、やっぱり安部総理も早速「危機突破内閣」って名前を自分で付けてしまうぐらいあって、これからこの国はどうなってしまうんだろう、という言いようのない危機感がいつの間にか自分の中にも芽生えてしまった、ということかもしれません。でもその一方で、イギリスを始め様々な国を垣間見た身としては、やっぱり日本はなんだかんだ言って住みよい国じゃないか、という思いもあって、その狭間で揺れているような感覚を持っています。

 帰国後のこのブログでは、そんな揺れる感覚を掘り下げ、社会の現実と自分の持つ認識の隙間を埋めていく作業を通じて、この国の現状やこれからの在り方、そして自分の生き方などを自分なりの言葉で主張・表現して行きたいと思っています。それはまさにこのブログのタイトルである「Mind the Gap」、つまり「隙間に気を付けろ」に繋がるのかもしれませんが(と、うまいこと言ったつもり 苦笑)。

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 と大げさなことを書くのもいつもの癖ですが、帰国後も不定期更新で気ままにやっていきたいと思っています。そんなのでよければ、今後ともご愛読頂けますと幸いです。

幕引き

 2年近くの留学生活で考えたことを綴ってきたこのブログですが、考えた結果一旦終わらせることにしました。

 その理由としては、日本に戻るに当たって気持ちに一旦区切りを付けたかったことと、もし何かを引き続きブログの形で書くにしても、新たな土俵でまた始めようという気分になったからです。

 昔お世話になった上司がよく引用していた新約聖書の言葉でも、「新しい葡萄酒は新しい革袋に入れよ」とされていますしね。

 結局イギリス生活のまとめなど振り返り的な記事を書くことはできませんでしたが、その点については、帰国して親しい友人達と再会し会話したりする中で、自分の中にある考えが言葉になって出てくるのではないかなあ、と期待しています。

 ブログを書くのは初めてでしたが、いつの間にか多くの人に見てもらう事ができ、コメントもたくさん頂くことができました。ネット時代に追いつくことができたような感覚が楽しかったです(笑) まあ、本当に時代に乗っている人はブログなんて今更しないのかもしれませんが…

 見てくださった方々、短い間でしたがありがとうございました。