エジプトの民主化活動の臨場感

日本でも大きく報道されているかと思うが、エジプトで起きている民衆の集団抗議活動が英国でも大きな話題となっている。中東系のアルジャジーラなどと同様に、英国のメディアも現地からの情報を時々刻々とツイッターやブログにアップするなどして、臨場感のある報道を行っている(エジプトは英国の元保護国という事情も影響しているか)。
私も、The Guardianのサイトにある「Live Updates」を暇をみて確認することを最近の日課としている。これが、現地の人の声や各分野の専門家の意見、各国の反応などをうまくまとめながら素早く伝えていて、とても興味深い。
Egypt protests - Tuesday 1 February | News | theguardian.com
(↑何日か経つと見られなくなるかもしれないですが)

今回の出来事で上記のツールを知って、日本語だけで情報収集すると、ときに国際情勢に遅れたり、先を見誤ったりすることがあるかもしれない、とちょっと心配になった。日本の報道機関には、こういったガーディアン紙のような現地での情報収集を行うことは難しいのだろうか。今回はエジプトという遠い国だったので、そこまでして情報収集を行うインセンティブが無いかもしれないが、普段からこちらの新聞やテレビでは、日本に比べて国際ニュースの割合が多いような気もするし。
経済のグローバル化という言葉を持ち出すまでもなく、日本は世界中の国と貿易をしていて世界有数の経済力を持つ国なのであるから、もっと国民一人一人が世界のことに関心を高めてもおかしくないし、そのためには報道の内容も、政局の話とかばかりにせずに、(自虐的な内容ばかりにならないようにしつつ)外向きにしていくべきではないだろうか。ジャパン・パッシングとかいろいろ言われるが、その前に日本が世界を見ているか、ということか。

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また、別のソースとして、知り合いのアラブ系学生と話すと、彼の友人がエジプトにいるらしく、色々と生々しい話を聞くことができる。

  • フェイスブックやツイッターなどのツールが今回の活動(特に初期)にある程度役立っているのは確かだが、エジプト国民のほとんどはインターネットができないので、結局は伝統的な地域の連携(口コミ)が群衆をつなぐ基になっている。
  • 一度エジプト政府の警官が街から離れたが、それは見せかけで警官は私服に着替えて群衆に紛れスパイとなり、商店や車などの破壊活動を行うことで混乱を招こうとしている。そのため、逆に群衆が自主的に警察機能を組織し、暴漢(=スパイ警官)を拘束している。
  • 刑務所から囚人が集団で脱獄したとの報道があるが、これは脱獄ではなく政府が意図的に釈放したもの。囚人に社会混乱を引き起こさせ、群衆のせいにして弾圧の口実としたい政府の策略。
  • 周囲のアラブ諸国政府(首長)は今回の出来事を本当に憂慮していて、自国で同様のことが起こらないように躍起になっている。引き締めは逆に群衆の蜂起をあおるかもしれないという考えから、逆に国民の懐柔を図ることも行われていて、例えばクウェートでは国民全員に毎年相当額の手当を支払う約束を国王が発表したらしい。
  • 反政府側のリーダーの一人とされるエルバラダイ氏も、実は今回の活動に遅れて参加してきたようなところもあって、足下が盤石ではない。群衆の前で演説をした際には、無視できない程度の反対の声(エルバラダイ帰れ!)があがったらしい。
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ムバラク政権は30年間もの独裁政権ではあるが親米で、日本とも友好的な関係であることもあってか、日本での報道の方向性はやや政権寄りのように見受けられるが、このような話を聞いていると、何となく民衆側を応援したくなるから不思議だ。

こちらでは今回の出来事は、ロンドン大学LSEの教授が「アラブ社会における『ベルリンの壁』になり得る出来事」と最初の頃から評したように、歴史的に見ても大きな出来事となる可能性があると見られている。エジプトの統治体制が変わる可能性があるのはもちろんのこと、周囲のアラブ社会やその他の統制的国家でも、エジプトに誘発されて大きな動きがあり得るかもしれない。

アラブ諸国は、石油に興味がある西欧諸国と権力を保持したい各部族の首長の繋がりが強固だったこともあり、WW2後にアジアでもアフリカでもあった民衆主体の社会変革がほとんど起きていないように見える(例外はイランのイスラム革命:イランはアラブではなくペルシアなので別と言えば別だが)が、今回のことがきっかけとなって、各国の民衆が蜂起すれば、それは歴史的な転換点になるだろう。

また、そうなるとイラクでアメリカが行おうとした「与えられた民主化」がうまくいっていないことをさらに目立たせてしまうかもしれない。明治維新で自ら革命を起こした日本の例を引くまでもなく、やはり何事も自分たちで行うことが重要なのだろう。逆に言えば、国民が望めば、統制的な独裁政権だって有効な統治手段なのかもしれないが、そればまた別の話か。(「国内の安定>民主的権利」のような話?)

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しかし、日本にいた頃と比べて、国際的な出来事へのアンテナが高くなったなあ…とはいえ、まだまだ勉強不足だが。