アカデミックライティング

出不精な性格が災いしてか、特にテスト期間のような学校に行かなくてよい状況になると、ずっと勉強をしているわけでも無いのに家に引きこもってしまい、煮詰まってしまうことが多々ある。

昨日は引きこもりすぎて勉強のやる気が0になったので、F1のスペイングランプリをBBCで視聴。ネット上にフルの動画を載せてくれていて、とてもありがたい(もちろん無料)が、そんなに大盤振る舞いして収入は大丈夫なのかな、とちょっと心配になった。BBCはドラマやドキュメンタリーなども含む過去の番組を(すべてではないが)ネット上に載せていて、かなり自由に見ることができる。

<F1スペイングランプリ(BBC)>

一方で、NHKアーカイブスなどの日本で行われているサービスは料金がかかるが、これらの番組が過去に払われた受信料で製作されていると考えると、これって受信料の2重取りなんじゃないのか?とも思ってしまったが(BBCも国民の受信料で経営されている)、その辺はビジネスモデルの違いで片付く問題なのだろうか…?(NHKの取り分じゃなくて、芸能事務所や番組製作会社の著作権等の問題が絡んでいる?)

と、そんな事ばかりしていても微妙なので、今日はちょっと気分転換をすべく、カフェに行って新聞を読んで、その後この文案を考えることにした。最近のロンドンはなんだか風が強く、こちらでも「春一番」のようなものがあるのか、と思ってしまうほど。気温は一時期20度を超えるほど高かったのだが、それはちょっと例年にはない陽気だったようで、いまでは元通りにおさまっている。こちらの人たちはちょっと暖かくなるとすぐに半袖になるという傾向があるのだが、さすがにまだ一枚上に着ている人々が大半。


街並みはこんな感じで、結構緑が映えている。ロンドンは東京と比べても緑が多く、また大きな公園、大きな街路樹が多い印象。


ちなみに今日行ったのはコスタというカフェで、おそらく日本にはほとんど進出していないと思うが、イギリスではスタバと勢力を二分するほどの有名なカフェ。味はスタバほどの独特の感じはしないが、結構おいしい。英連邦や旧植民地諸国では結構なシェアを持っているようで、インドへの進出などでもスタバをリードしていると聞く。

<コスタのホームページ>



これが中サイズのカプチーノで、£2.45。300円ぐらいかな。

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テストの解答としてエッセイを書かせられる事は以前の記事でも触れたところだが、その際に英語力と並んで悩まされるのがその構成。よく言われる、「アカデミックライティング」というものがそれで、自分もまだきちんと把握できていないのだが、下記の様な要素が必須とされているらしい。

  • 最初は導入部で、ここで用語の定義や自分の基本的なスタンス(賛成or反対、など)、エッセイの構成を説明する
  • 次に本文、ここで具体的な議論をするのだが、その際には
    • 賛成側、反対側両方の意見を記載した上で比較する
    • 理論的な説明、実際の例、論文の引用などバランスよく構成する
    • その上で、自分のスタンスの正当性について議論の形で考察する
  • 最後に結論部、ここでは全体を振り返るとともに、結論について踏み込んで(ただしこれまでの議論を踏まえた範囲で)発言する

どんな短いエッセイでも、長い論文でも、上記の基本を踏まえた上で書くこととされている。もっとも、日本においてもアカデミックな論文はこのような構成になっていると思うが、不真面目な学生であった私にはなかなかそのような技術が身についておらず、こちらに来て最初のエッセイでとてもひどい点数を取ってしまった。その後、講師の先生やクラスメートに色々教えてもらって、多少はまともな構成で書けるようになりつつあるのだが、そのときに聞いて驚いたのが、イギリスでは中学校に入ってすぐにこのようなアカデミックライティングについてたたき込まれるということであった。そりゃあ中学生からやっていれば全然違うだろうなあ、と。

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しかもそれは、エッセイを書くことについてだけではなく、議論することにも役に立つのでは、と思うようになってきた。というのも、日本のテストでは基本的に、特に中学・高校においては、「正答」を求められていると思うが、その影響なのか、私はいつも自分の意見が正しいのかどうかを気にして意見を言いだせなかったりして、大学のチュートリアルでも結局なかなか発言できないという課題を抱えている。自分に限らず、結構日本人の中には、正しい事を言わなければと思うあまり、あまり議論が得意でない人がいるのではないだろうか。

それに対して、以前にロンドンの雰囲気を「みんな違って、みんないい」と表したことがあったが、こちらでは大学の授業内での議論や試験だけでなくその他いろんな場面で、「正答」というより自分なりの「回答」について、なぜその考えに至ったのかを含め明確に説明できる(両論を併記・比較した上で)ことが重要視されている気がする。それができれば、正答かどうかはという点は比較的重要視されない(その意見がある程度説得力を持ちうる限り)から、みんなで意見を出し合っておおらかに議論ができる(恐れずに発言できる)環境が整っていて、それに慣れた皆さんはのびのび発言できる傾向があるのかなあ、と感じていたのだが、その要因の一つは教育方法にあるのかもしれない。

もちろん、両国共に優れた人材を輩出した実績を持つ国であり、イギリスと日本の教育システムの優劣について簡単に比較することはできないが、今後の教育システムを考えていく上で参考になるのでは、と感じた次第。

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全然うまくまとまってないけど、そんな事を思いながら、3日後に迫ったテストに向けて知識を蓄えているところ。でもいままで受けたテストの経験でわかったことは、書くスピードが遅すぎて本番では蓄えた知識の半分も記述できないうちに時間切れになるので、せっかくたくさん勉強しても無駄になってしまう可能性が高い、ということなのだが…