Facebookが苦手なわけを考えてみた

日本ではSNSと言えばまだまだmixiあたりがメジャーだと思うけど、聞くところでは最近Facebookも結構流行ってきたらしいですね。
イギリスではダントツでFacebookが流行っているみたいで、昨年の夏にこちらに来てからというもの、クラスの人と「アカウント持ってる?」というやりとりをまず最初にするのが当たり前になっているのがとても新鮮でした。

また、実際に役に立つことも多く、例えば3月に大学で大震災の義援金募集活動が行われた際には、Facebook上に専用のグループを簡単に立ち上げることができ、情報共有や連絡、広報等とても簡単に行うことができました。
これが一昔前なら、メーリスを作るとか、サイトを立ち上げるとか、もっと手間も時間もかかっただろうと思うとその威力に驚きますし、Facebook革命と呼ばれるようなことが中東で起きているのも宜なるかな、と思ったりもします。

それで、連絡先はそれなりに増えてきたのだけど、どうもFacebookに書き込んだりする気がおきなくて…正直言ってちょっと苦手なんですよね。
多分これだけ流行っているいるということは、便利な機能もたくさんあってとても楽しいのだろうけど、どうもあの世界に入り込めない。
しかもよくよく見てみると、友達の中にも頻繁に書き込む人がいる一方で、滅多に書き込まない僕のような人もそれなりにいるみたいなんですよね(国籍を問わず)。

ということで、Facebookを苦手としている理由を考えてみました。

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①すべての友達に自分の投稿が見えてしまうこと

友達の中にも、高校の同級生とか、大学のサークル仲間とか、職場の同僚とか、色々なグループがあるのではないでしょうか。

それで、例えばもしそのグループごとに自分がちょっと違うキャラで属していた場合(いじられ役、突っ込み役、とか?)、自分が普段出していない面を他のグループの人に見せることになってしまったりすると、ちょっとあずましくない(落ち着かない)感じになることもあると思うのです。

それに限らず、自分の発言の一貫性を保つのが難しいかもとか、内輪話が見られてしまうかもとか、色々と気になる部分が自分にはあって、それでなかなか書くことに踏み出せないのかなあ、と思いました。

まあ要すれば、ハートが小さいってことかもしれませんが…


②友達の数や自分の投稿への反応数が見えてしまうこと

これも結局ハートが小さいってことになるのですが…

Facebookに投稿すると、いろんな人から「いいね!」とかコメントとかの反応をもらうことができますよね(もらえるととても嬉しくなります)。
あれでたくさんの人から反応をもらっている人は、まあ言ってみれば人気者であるわけで、すごいなあ、とついつい思ってしまう訳です。

それと同時に、もし自分が何か投稿した場合に全然反応がなかったら、と思うと、投稿するのが怖くなってしまう、ということがないでしょうか…。
友達の数も同じで、他の人と同じような環境(同じ学校とか、同じ職場とか)にいながら友達の数が少なかったりすると、ちょっと微妙な気分になることもあるかもしれません。

そんなわけで、あの実際の数字が見えているという仕様は、気になる人にとっては結構なプレッシャーになるよなあ、と思います。

とはいえ、「反応が見えないとSNSとして成り立たないのでは」と言われれば、それまでなのですが(笑)

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と簡単に考えてみましたが、どうでしょうかね。
もちろんどんなサービスも合う合わないがあるし、すべてを楽しむ必要も無いのですが、こんな悩みを解決してくれる新しい仕様が出てきてくれれば、僕としては嬉しい限りです。

と思っていたら、Googleが新たに始めるSNSサービス「Google+」では、上記①の点について、友達をグループ化するという新たなアプローチを考えているようですね。

僕の他にも同じ悩みを抱えている人がいたんだと思うと、ちょっと安心した気分です。